ラブリバー運動の経緯
1970年代は環境汚染や公害など、環境問題に対する関心が世界的に高まった時代で、環境問題は私たちの日常生活にとっても身近な関心事としてクローズアップされました。
1970年7月に東京都杉並区で日本で最初の光化学スモッグが発生し多数の女子高生が被害を受けたことが大きく報じられ、公害が私たちの生活を脅かしていることを実感させました。
8月には東京銀座で日本最初の歩行者天国が実施されましたが、これはアメリカ国民の一割にあたる2000万人が参加した国民的な環境運動「第一回アースデイ」の象徴的な行事のひとつとしてニューヨーク五番街で実施された歩行者天国が元となっています。
アースデイの活動は現在も日本を含む世界各国で続けられています。
9月多摩川の水質悪化で玉川浄水場(大田区田園調布)の飲料用取水を停止しました。
12月アメリカで自動車の排気ガスを規制するマスキー法(大気汚染防止法)が成立しました。
1971年には環境庁(現環境省)が創設され、1972年6月にはスウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開催され環境問題は全地球規模のテーマとなり、自然保護や環境問題に取り組む市民の活動も活発になってきました。
東京都と神奈川県の県境を流れる多摩川は1950年代までは中・下流でも色々な魚が獲れ川遊びもできましたが、1960年代の高度経済成長期から生活排水や工場排水などが直接川に垂れ流され水質が急激に悪化しました。
1960年代の多摩川には羽村・砧上・砧下・調布(大田区田園調布)の4か所に取水堰があり、東京都民の4人にひとりが毎日ここから取水される水道用水を飲んでいました。
しかし、1965年には調布取水堰の水質は水道水として使える限界を越え1970年には水道水として使えないだけでなく魚が棲める限界も超えて文字通りの「死の川」となりました。
この時代の10年間で魚の死骸が大量に浮き上がる事件が66回も記録され、丸子橋や六郷橋では風が強く吹くと洗剤の泡がまるで吹雪のように舞い上がりその様子は鉄橋を渡る通勤電車の窓からも一望でき六郷吹雪という言葉まで生れ多摩川の悪しき名物ともなりました。
1970年ころの多摩川流域の下水道完備率はまだ15%程度だったのに家庭用電気洗濯機の普及はほぼピークに達し合成洗剤を含む大量の家庭用雑排水が直接多摩川に流れ込み多摩川の汚染に拍車をかけました。
1972年に東京青年会議所が地域社会活動として多摩川の環境問題をテーマに「多摩川に花とメダカを」という運動を推進しました。
この運動に共鳴し一市民として参加したニッポン放送の社員が、放送局も公共的な活動として環境問題に取り組むよう会社に提案し、翌1973年にニッポン放送と東京青年会議所が企業と行政、市民が協力しあう環境運動を提唱し、公共活動ラブリバーキャンペーンが実施されました。
市民と企業と行政が互いに協力しあう三位一体のラブリバー運動の始まりです。
ラブリバーキャンペーンは1年で終りましたが運動の流れは絶える事無く継続され、1975年春、「ラブリバー多摩川を愛する会」が誕生しました。
いらい40年間、世田谷区の二子玉川地区を中心に、多摩川の河原での楽しい行事と清掃活動をセットにした活動を続けてきました。
行事は、灯ろう流し、盆踊り、花火大会、まぼろしの多摩川音頭の復活や多摩川に関する勉強会、自然教室の開催、こどもたまがわ文学賞、大学対抗多摩川川下りレース、ラブリバーコンサート、焼きいも大会、いも煮会、ラブリバーウォーキング、ラブリバーたまがわこども絵画展、ラブリバー多摩川写真展など多岐にわたっています。
現在の多摩川は流域の下水道施設の完備もほぼ100%近くになり水質も大幅に改善され、最近では100万尾を超えるのアユの遡上が確認されるまでになりました。
主な環境問題出来事年表(1960年代~)
1962 | レイチェル・カーソン「沈黙の春」出版(6月) |
1965 | 多摩川水系砂利採取全面禁止(4月) |
1967 | 「公害対策基本法」(8月) |
1970 | アメリカで第1回アースデイ開催(4月22日) |
1970 | 7月杉並区で光化学スモッグ発生4月22日 |
1970 | 銀座歩行者天国(8月) |
1970 | アメリカでマスキー法(大気汚染防止法)成立。1974実質的廃案。 |
1970 | 多摩川下流の玉川浄水場カでシンベック病を誘発する疑いがあるとして飲料用取水停止(9月28日) |
1970 | 多摩地域のカドミウム汚染が衆議院産業公害対策特別委員会で取り上げられる(10月29日) |
1971 | 環境庁発足(7月) |
1971 | アメリカのオレゴン州で空き缶・ビン回収法成立 |
1972 | ストックホルムで国連人間環境会議が開催(6月5日) |
1972 | ホンダ、マスキー法をクリアするエンジン開発(12月) |
1973 | ニッポン放送・青年会議所共催でラブリバーキャンペーン実施(1月~12月) |
1973 | 多摩川最後の渡し、菅の渡しが廃止 |
1974 | 環境庁・運輸省、日本版マスキー法規制値告示 |
1974 | 東京町田市が初めての空き缶条例を制定 |
1974 | とうきゅう環境浄化財団設立(8月) |
1974 | 台風16号により多摩川左岸狛江市の堤防決壊(9月) |
1975 | ラブリバー多摩川を愛する会発足(3月) |
1975 | 多摩川流域河川愛護モニター制度(6月) |
1976 | 二子玉川地区に灯ろう流しと盆踊り復活(7月) |
1979 | 二子玉川地区に花火大会復活(7月) |
1984 | 琵琶湖で第1回世界湖沼会議が開催(8月) |
1984 | ニューオーリンズで世界河川博開催、ラブリバー多摩川を愛する会の活動紹介。 |
1987 | 建設省「ラブリバー制度」創設 |
1992 | リオデジャネイロで地球サミット(環境と開発に関する国連会議)開催(6月) |
1995 | ラブリバー多摩川を愛する会ホームページ公開(10月) |
2000 | ラブリバー多摩川を愛する会、建設省京浜工事事務所より河川環境保全功労者賞を受賞 |
2003 | 第1回ラブリバーたまがわこども絵画展開催 |
「ラブリバー多摩川を愛する会」の40年におよぶ活動はホームページをご参照下さい。