◆会の誕生

◆会の名称の由来

◆会が目指すもの

◆活動の基本は多摩川のお掃除とレクリエーション

◆会員になるためには

◆コントリビューション(役務提供)

◆「会の誕生」

ラブリバー運動の源流はきれいな川を取り戻したいと願う人々の心の中にあります。
多摩川の汚染が目立ち始めたのは1950年代後半に入ってからでした。
ちょうど日本経済の高度成長に歩調を合わせるように多摩川の環境も悪化し始め、心ある人々を嘆かせました。
多摩川の浄化に強い関心を持ち立ち上がる人もいましたが大きな力にはなりませんでした。

1972年「多摩川に花とメダカを」ということばに願いを託して、東京青年会議所のメンバーによって多摩川の環境浄化運動が提唱されました。
一市民としてこの運動に共鳴し参加した西尾安裕は、運動の輪を広げるべく勤務先であるニッポン放送にマスコミの公共活動参加への必要性を説き、1973年東京青年会議所と共同して公共広告活動「ラブリバー・キャンペーン」を展開。

オールナイトニッポンをキャンペーン番組として若者を中心に多摩川の環境浄化をよびかけました。キャンペーンは1年で終了しました。
ラブリバー運動を継続していくためには、多摩川の環境浄化を目的とする公益的な組織の設立と地元市民を中心とする市民団体の組織化の必要性を痛感していたところ、公益法人については多摩川の環境浄化を目的とする公益法人の設立を検討しているのを知り、東急グループの五島昇氏(故人)に協力して設立に参画。
1974年8月「とうきゅう環境浄化財団」が誕生しました。

一方、ラブリバー運動の継続を願う玉川高島屋店長(当時)竹葉彌一郎氏(故人)をはじめ多くの方々の協力により、1年間の準備期間を経て1975年3月市民グループ「ラブリバー多摩川を愛する会」が発足しました。
代表幹事(後に会長)には野口達彌氏(故人)、事務局長には西尾安裕が就任しました。
2010年4月、組織を幹事会方式から理事会に変更し会長に木本和秀、代表には西尾安裕が就任しました。(TOPへ)


◆「会の名称の由来」

ラブリバーは川を愛する心の象徴です。まず、川を愛することから始めよう。
企業や行政、他の人々に「自然を守れ」「川を救え」「川をきれいに」と訴える前に、自分たちにできることから始めよう。
まず川を愛する心を養おう。愛する心が芽生えれば人は川を大切に思うようになり、汚さなくなる。そうすれば川は自然に蘇る、という希望と願いが込められています。(TOPへ)


◆「会が目指すもの」

本当の環境浄化は対立の姿勢や責任の追及からは実現しません。また自らに過重な目的を課するような運動も長続きしません。
人に強制したり行政や企業に注文する前に、謙虚な気持で自分たちになにができるかを考え行動する。
自らの責任と義務を果たし、地域の行政、企業、市民の三者が一体となって共通の目的に向かって協力し合うことが最も大切なことと考えています。 (TOPへ)


◆「活動の基本は多摩川のお掃除とレクリエーション」

河原での楽しい行事が愛する心を育て、きれいな多摩川が川をより身近に感じさせます。
川を身近に感じるために河原での楽しい行事とお掃除が会の活動の基本です。(TOPへ)


◆「会員になるためには」

会員、非会員の区別はありません。会員になるための特別な資格や手続きはいっさいありません。
自然を愛する心と私たちの会に関心を持ってくださる方すべてを歓迎いたします。
自然を思い、多摩川を愛する気持が芽生えれば、その瞬間から、ラブリバー多摩川を愛する会のメンバーであり同志です。
多摩川が近くにない人は身近にある川を、身近に川のない人は、身近にある自然を愛する心を育んでください。そして機会があれば多摩川にも足を運んでください。(TOPへ)


◆「コントリビューション」(役務提供)

ラブリバー多摩川を愛する会の活動を支えているのは市民、企業、行政のコントリビューション(contribution役務提供)です。
コントリビューションとは、個人や企業、団体が自分の持っている知識や能力、労力、技術、資金、場所、施設などをより良い社会を作るために無償で提供する姿勢です。
例えば、企業は資金や製品、組織を社会のために提供する。
行政は施設や機能を社会に提供する。
個人は時間と労力と知恵を社会に提供する。
ことを言います。
ラブリバー多摩川を愛する会の活動は、会の主旨に賛同してくださる多くの人々や企業、団体のコントリビューションによって支えられています。(TOPへ)